第三章:神はなぜ人類を地球上に創ったのか?
非ムスリムの人が(ムスリムでさえも)よく持つ疑問の一つは、「神は何のために人類を創ったのか?」です。
神はこの疑問に対して答えを示してくれています。神の書であるクルアーンには、神が人間を創る理由は「試すため」、つまりその人の 信仰を試すためだと書かれています。逆に人間は、この試練の結果として、①精神的成長 ②罰または報酬 を得ることとなります。
試練があることによって、人間は精神的に成長し、寛大さや知足といった大切な力を身につけることができます。
人間の心の中に現れる「妬み」という感情は、富への欲望が増すとともに強くなります。逆に、神が与えてくれたものに感謝し、自分よりも恵まれない人のことを考えることで、知足(満足)の感情は増します。妬みと知足は正反対の感情です。知足の気持ちが大きくなれば、妬みの感情は自然となくなっていきます。
しかし、与えられたものに対し満足するということは、自分のやりたいことを諦めてしまうということではありません。神に感謝し、神に助けを求めながら努力することが大切なのです。
試練や災難は、神を信じる人にとって成長の糧となります。辛い時でも、「これは自分の成長にとって必要で、自分の為になる事だから神が与えてくれたのだ。神に従っていれば、神はきっと助けてくれる。」と、強く信じることで、忍耐力を高めることができるのです。神は人それぞれの能力に合った試練を与えることで、その人の最大限の力が発揮できるようにしてくれているのです。
神を信じていなければ、試練が訪れたとき、辛くて希望を失ってしまうかもしれません。神の助けが来ると信じることは、信仰の最も大切な要素の一つです。忍耐強く正しいことをしようと努力し、神に従う人には、想像もできないような報酬と、永遠の安楽が約束されています。
神は人を正しい道に導くために、試練を下します。信じる心がある人は、自分の間違いに気づき、神の教えに戻り、成功することができます。しかし、信じる心がなく、神の導きを否定すると、試練は逆に罪の源となってしまいます。
クルアーンの第18章第7節にはこう書かれています。
「本当に地上の凡ての有は、それ(大地)の装飾としてわれが設けたもので、かれらの中誰が最も優れた行いをするかを、試みるためである。」
つまり、神は人類を創り、それぞれの人間が善い行いをするか、悪い行いをするか見ておられるのです。これが人間が創造された目的です。